2005-01-01から1年間の記事一覧

リハビリ

『リハビリ』 視界の片隅がチカッとまたたいた瞬間、俺の全身は千度の火炎に包まれていた。テロリストどもが最近使い始めた、燃焼剤入りのカクテルボムだ。外気から閉鎖された地下道でこれを使われたら、首都警の重ジャケットでも耐えられない。まず酸欠で脳…

遺品

『遺品』 to:高野均巡査部長どの from:柏木涼子 title:メモリ解析の件 date:2035年5月28日9時32分 先日依頼いただいた携帯メモリの解析結果ができましたのでお送りします。このメールに添付したホロデータをお手持ちのデッキにて展開してください。できれば…

渡り

『渡り』 「胸の上で両手を組んだまま眠ると悪い夢を引き寄せる」 そう言ったのは祖母だったろうか。それとも夏休みで祖父母の家に遊びに来ていた、三つ年上の従姉だったろうか。 その晩十歳のぼくは興味に駆られて手を組んだまま眠りについた。その時の夢は…

挿話:アザーサイド

『挿話:アザーサイド』 「やるきがおきない」 実験体三十二号に直結しているスピーカーが響いた。生まれて初めてしゃべった言葉がそれだった。 「安曇野センセ、どうしましょ」 オペレーターの滝本エレクトラは生来ののんびりとした口調で言った。振り向き…

雨の合間に

『雨の合間に』 小さな水滴が杏子(きょうこ)の鼻にぽつんとあたった。 低く雲のたれこめた空を見て、共用ガレージから出してきたばかりの自転車をしまい、傘を差して歩いていこうかとちらと思う。 ままよ、とペダルを踏んだのは今朝の天気予報が午後からは…

序章:旅立ちの定め

『序章:旅立ちの定め』 新月の夜、通り雨のあった森の空気は艶やかに湿っている。雲にさえぎられ星も照らさない闇の中、藪の向こうに息づく獣たちの気配をその鋭敏な耳でジジーは聴いた。 柔らかな和毛(にこげ)に覆われた彼女の脚は、俊敏に山道を踏み分…

常識について

『常識について』 近所の青果店が最近のぼくらのお気に入りだ。 市場で買い付けてきた野菜や果物を、箱のまま開けて売っているような店だ。それだけに価格はびっくりするくらい安い。店舗自体も露店に補強してあるだけに見えるが、奥行きは結構ある。 「台湾…

ジレンマ

『ジレンマ』 「……ぅえっくしゅん」 中途半端にくしゃみを我慢していたら妙な感じの音になった。 隣の席の小川恵が心配そうな顔でぼくをのぞきこむ。 むずむずする鼻を左手で押さえ、空いた手で大丈夫と手を振った。 世界史の北岡はこの小さな騒動には気がつ…

公園の空

『公園の空』 五月の夕暮れは日が長い。定時過ぎに会社をひけたぼくは、この街を縦断している公園のベンチに沈み込んでいた。ビジネス街と繁華街を繋ぐこの公園は、帰りを急ぐ勤め人や買い物客で賑わっている。 夕日は公園を挟むようにしてそびえるビルに遮…

伝説と憂鬱

『伝説と憂鬱』 伝説というのは伝聞によって作られるのではないかと佳澄は思う。伝説の主人公は聖人でも英雄でもなく、ただその場に居合わせて彼らなりの立場をまっとうしただけなのだ。事実なんて本当はたいしたことじゃない。聞き手が物語を勝手に作ってい…

モンスター・デイドリーム

『モンスター・デイドリーム』 妹のミキがテレビをつけた。ヘリコプターから空撮されたとおぼしき映像には、十数階建ての高層マンションが紙くずのように潰されていく様がとらえられている。ヒステリックな実況レポーターの声が映像にかぶさる。 「消せよテ…

よんどしー

『よんどしー』 「あぅうー」と彼女がつぶやいた。 「何語?」 彼女はこたえず、上を向いて酸素の足りない金魚みたいに口をぱくぱくと開けた。 ぼくも見上げた。四月の少しかすみがかった空。 高層マンションと雑居ビルの建て込んだこのあたりでは空は狭い。…

紙の上にしか存在しない私は

『紙の上にしか存在しない私は』 「紙の上にしか存在しない私は」とタイプして手を止めた。 紙の上にしか存在しない私は、紙の上にしか存在しないキーボードの上にテキストをタイプする。紙の上にしか存在しない私が書いたものと、いまここでタイプしている…

卓上の物体について

『卓上の物体について』 半透明で艶やかで軽い。 それは一見何かを刺すスティックの様な形状をしていた。 片方の先端が滑らかなカーブを描き、錐(きり)の様にすぼまっている。その先には金属の針が取り付けられているようだ。 プラスチックとおぼしき本体…

ヒトリトフタリ

『ヒトリトフタリ』 私がベランダから空を見上げると雹(ひょう)が降っていた。 アパートのトタン屋根にパララララという乾いた打撃音が響く。 私は以前友人宅で見せられたビデオの、ナチス党の宣伝映画を思い出した。 機関銃の音というのは意外と軽いもの…

妹の力

『妹の力』 「わたしの妹になって」 校庭のすみ、ジャングルジムを背にしたぼくに彼女はそう切り出した。 ハヤシミドリはぼくよりも頭一つ背が高い。ぼくは小学四年生でミドリは六年だから当然のことだ。しかもミドリは同級生と並んでいても目立つ長身だった…